逝くものと来るもの 投稿者:布施院  投稿日: 2月15日(日)11時15分11秒
愛する人を亡くしてしまうことは耐えられないほどにつらいことですが、これも世の定め。いつまでも泣いてばかりはいられない。涙が乾いたら、のどが涸れたら、立ち上がる勇気がやがて出てくるでしょう。亡くなった人の思い出がいつか力になっていることを感じながら。 自分の半分も生きていない娘さんたちがイギリスやアフリカを闊歩している。 そしてまた、新しい命が生まれてくる。 その新しい命に幸あれかしと祈るあなたはもうあなたのお母さんの立場になっている。 愛の連鎖が生きる意味をあたえてくれているような気がします。 おかあさんの愛情があなたの中に生きているように、あなたの愛はあなたの子供や孫のなかに生き残ります。 Jakarandaさんの娘さんにも安産をお祈りします。(布施院)

札幌は雪のち晴れ 投稿者:布施院  投稿日: 2月13日(金)13時55分38秒
昨日から札幌にきています。 札幌は雪のち晴れ、ところにより二日酔い。 昨日は身を切るような寒さ。今日はぽかぽか陽気で路面はつるつる。 ホテルから札幌駅までの数百メートルが肉離れの足にリュックサックではつらいのでタクシーに乗ったらこれもソリ状態でつるつるすべってとまらないから怖いの怖くないのって、怖かった。 昨晩商談がすんで一人でホテルの近くの飲み屋に入ったらカウンターにいたお兄さんが面白いひとだったので話がはずんで2合徳利を7−8本飲んじゃったところまでは覚えているけどあとのことは覚えてない。 今朝、ホテルで目がさめるともうネクタイをしてズボンまではいている。 便利。 さすがに靴ははいていない。 でも頭が重いし目も回る。 足元がふらふらなのは肉離れのせいだけではなさそうだ。 まるで酔っ払っているみたいだ。 朝ご飯をたべに食堂におりたが食欲がない。 たべてもすぐに戻しそう。
ホテルのロビーでどでかいカニを売っているおじさんに呼び止められた。 広げると70−80センチもありそうな脚、胴体はヤカンみたいにでかい。 良く見ると口元がちょろちょろうごいているので生きている。 値段は2万5千円だそうだ。 そんな高いもの僕が買うわけもないけど、聞いたおじさんのうんちくがおもしろい。 まず、タラバガニのようにみえてにせもののアブラガニというカニがいる。 素人では見分けがつかない。 味はまったく違う。 見分け方は、甲羅の中心部の下の部分にとげとげが6つあればタラバガニ、4つしかなければアブラガ二。 アブラの値段は本来めちゃくちゃ安いが、悪徳みやげ物や屋はこれをタラバと称して高く売る。アブラガニには脂肪分が多いがこの脂肪が腐りやすく味も良くない。 また同じタラバガニでもメスはオスの半値だ。 オスメスの見分け方はおなかの形で判別する。 メスは丸くオスは三角。 6月から9月にかけて取れたカニは身がほとんど入っていない。 脱皮直後でとった栄養がほとんど殻を作るために使用されてしまい、身にならない。 ゆでた脚だけ売っている場合は食べてみないとタラバかアブラか玄人でも判別不可能。これまでタラバガニを食べたことがあるとおもっていてもタラバガニじゃなくてアブラガ二をたべていたりすることもあるらしい。
ケガニの場合もメスは半値。ケガニのオスメスは脚の長さで見分ける。オスは田村君型、メスは布施院型。もっとも北海道では資源保護のためメスは捕獲禁止。三陸ではこの条例が適用されないので観光客に安いメスを高く売る悪いやつもいるらしい。ついでに、だれにもいっちゃだめだよといってそっとみみうちして教えてくれたことがあるんだけど、だれにもいっちゃいけないことなので教えてあげられない。これをしらないと北海道にきたり、都内の物産展でカニを買うときにえらい損をすることがあるらしい。でもだれにもいっちゃいけないから、教えられない。 つらい。 うーん、苦しい。 なぜ、ぼくは苦しまなければならないんだろう。 二日酔いだけでも苦しいのに。 あっ、もうすぐ着陸。 これ以上書けない。 うーっ、言いたい、でももう書けない。 (布施院)

泣かされました 投稿者:ジャカランダ  投稿日: 2月13日(金)11時30分2秒
私は両親の話になると、親不孝者で国を捨てた自分に対して罪悪感に襲われます。もらい泣きしてしまいました。今夜もまだ娘の産気づいたかどうかという電話待ちでおちつかず、Rio Vista に行く荷造りもせねばならず、また改めて書きますね。

母の命を見に行かん 投稿者:布施院  投稿日: 2月11日(水)05時19分32秒
明け方の布団のなかで、さくらこさんの名前の由来がわかったような気がして飛び起きました。 その美しい花がほころびるころのおかあさんとのつらい別れ。 満開のさくらのときを悲しさいっぱいでおかあさんの命としてありがたくすごしたこと。 わすれたくないんですね。 いまおかあさんがいないのはくやしいけれど。 ぼくも父がいないのはとてもくやしい。 桜の花や葉っぱはやがては落ちて、朽ちて、肥やしとなって、その次の世代の花がつぼみから満開となることで報われるのでしょう。 残されたものは先にいっちゃった人の分も今を幸せに生きることが一番の供養になるのだと思います。 あなたのなかにおかあさんは生きています。 僕の父がそうであるように。 
さて、今年の桜はそんな経験をした仲間と一緒に見られることになって、同期会は同時に合同法事会となることで二重の意味で「同期会」かな?。 はじめは冗談だったけど、2004.4.4の日は記憶に残りそうな予感。
一週間前ぐらいのNHK教育テレビの子供の番組でだれかの俳句が紹介され、はっとして記憶に残ったものがあります。 たしか「ふるさとに母の命を見に行かん」というものでした。 一人になってしまったふるさとの母にあいに行こう。(布施院)

早春のころ 投稿者:布施院  投稿日: 2月10日(火)22時49分34秒
2月から3月にかけて、一番寒い時期に春を感じるこの時期は僕の情緒が一番不安定になる時期でした。この時期にはよく早春賦という歌を時々思い出します。 憧れと、現実の冷たさと、希望と絶望の現実の間で気持ちが大きくゆらいで、ちょうど冬と春が交互に訪れるように、希望をもっては打ちひしがれ、涙と不安のなかに夢が膨らむ、そんな時期が今頃でした。ふと思い出す、古いロシア映画の「白夜」。ベートーベンのバイオリンソナタ「春」がなんともいえぬ情緒を見事に旋律にしていると感じます。身を切るような冷たさのなかに感じるぬくもり。 好きな人がいる。 でもその次につながらない幼さ。 そんな早春のころを思い出させる高校時代。 そんな中学・高校時代を思い出させる早春のころ。(布施院)

つらい別れ 投稿者:布施院  投稿日: 2月10日(火)19時54分2秒
まりちゃんも、さくらこさんも、また、きっとほかの方もそろそろ同じような体験をする年代になったということですね。まりちゃんの表現のなかに、このつらい別れを経験した人に通じる表現がそこここに隠れています。この点では、先輩みたいですね。僕より先につらいことを体験しちゃったのね。さくらこさんの「...」の部分が深い。僕も自分の経験と重なり合って思わず目が充血。 そう、本当は医者から見離されたので帰宅できたのに、僕らはもうすぐつらい別れがくることを知っているのに、父は全快を信じて、久しぶりにというはやっとのことで会いにきてくれた国産1号の子供たちの訪問を非常に喜んだ。 毎日日記を書いていた父のその日の短い手記は「まさかのことはないと思うが、もしそのときがきても今日やっと孫が会いにきてくれたので思い残すことはない」と震える字で記されていました。 いつも達筆だった父の字はもうよれよれになっていました(駆け落ちしちゃった僕をしかったけれど最後には許してくれた僕の父を呪って、前の家内が子供たちを僕の父のところには10年近くも遊びにこさせなかったのです)。まぁ、これも身から出たさび、小生が悪いのですが。 桜が咲くのを見るのが本当につらいときがあります。 あれほど美しいのに。 もう少し時間がかかりそうだなぁ、涙がでなくなるまで。 楽しいとき、なにか仕事がうまくいったとき、思わず大きな声で父に自慢げに報告している自分に気づくときがあります。 親父がやりかけて失敗して家族もばらばらになっちゃった事業というものを僕はやって見せるぞ、と踏ん張る勇気を父は残してくれました。 悲しいだけじゃないですね、やっぱり。 うれしいときも、疲れたときも、途方にくれるときもいつも一緒にいてくれる。 完全人間からは程遠い、欠陥だらけの父親だったけど、その息子も豆氏みたいで危なっかしいけど、親はやっぱりありがたい、うれしいもんですね、たとえ死んでしまって今はいなくても。
倉庫で(今日も二人とも休みやがって! 一人は遊び、一人は仮病!)孤軍奮闘すれども今日は寝不足もあり、体力の限界。 もう帰ろう。(布施院)

桜の花が咲く頃に 投稿者:さくらこ  投稿日: 2月10日(火)17時28分56秒
まだ少し吹く風が 冷たいころ 桜の花が開き始めると 涙が溢れます。そして 「桜は 嫌い」と一度 呟いてしまう・・・。そう・・・母がもう治らない病になり 治ると信じて 病と闘う母と もう長くはないと知っている私との 二人で歩いてお花見をした 手賀沼沿いの桜。束の間の 儚いお花見のことを 思い出してしまうから・・・。病院の関係で 我が家に母を引き取り 短い親孝行の出来たことだけ ただ 有り難く・・・。桜は嫌いと 呟いていても やっぱり桜の花は綺麗で その花の色は やさしい・・・と思う。
 

凍死を免れた管理人さん 投稿者:まりちゃん  投稿日: 2月10日(火)11時43分53秒
布施院さんの蓼科雪中大奮闘のお便りを読んで、笑ったり同情したり想像して震えあがったりしましたが、その後の、働かない従業員の話に続く父上の悲しい思い出には、しんみりしてしまいました。親しい人の死に接するとき、それが肉親だったりするとなおさらだと思うけど、それは文字通り特別な日となって、ディテールにいたるまでいつまでも記憶に残りますね。とくにその時の天候は忘れられません。お葬式当日のぬけるような五月晴れ、身を切るように冷たい、やっぱり晴れ上がった冬の朝、布施院さんの思い出にある満開の桜など、みんなそれぞれのシーンが胸にあると思います。時とともに癒されて--20年くらいかかるかしら--亡くなった人々の思い出と同様に、いつか美しい懐かしい思い出となります。50歳もすぎると、思い出も多くなり重くなりすぎることもあるけど。

ところで雪中孤軍奮闘の話に戻りますが、布施院さんのこの話には、脚色は無いのですよね? もちろんおもしろおかしく書かれているとは思いますが。いつも感心するのですが、お話を聞いていると(読んでいると)、やっぱり「豆氏」(これは過去に何度も登場してきた名前なので、一発変換可能です)を見ているみたい。どうしてこうも次々と難題が身に降りかかるのだろうと。でも、実のところは、連なる困難も含めすべて楽しんでいるのではないでしょうか。平凡な日常を送る気はさらさらなく、右も左もけっ飛ばしながら「なんかおもしろいこと転がってねぇかな〜」と日々暮らしておられるようにお見受けいたします。その調子でいろんな話を聞かせてください。肉離れなどを起こさない程度にして。 


今日も一人、明日も一人.... 投稿者:布施院  投稿日: 2月10日(火)00時24分55秒
奥村チヨのそんな歌があったなぁ、と倉庫で一人時計を見ると午前零時。おうちに帰らなくっちゃ! おまえはシンデレラか? いえ、でもほとんど死んでれら。 倉庫係の担当者が今日は休み。 すると、若い見習いも仮病で休み。 倉庫係の担当者は明日も休み。 すると若い見習いもきっとまた仮病で休み。 先週も倉庫係の担当者がやすむとこの若者は仮病で休み。 休む理由は、一人だとどうも仕事がつらそうだと考えるらしい。 それで、右肩の筋肉が炎症を起こしているなどとでまかせをいっては休むのです。 最近の若い人は、と説明する人もいますけど、そうじゃないんじゃないか。 まともな人間はまだいるはずだ。 絶対首にしてやる! と思っているのですけど、募集してもなかなかこれという人材が取れない。はっきりいえばろくなやつがいない。いまごろ失業しているやつは大体ろくでなしだ!というのが昨今の実感です。ま、僕も2回失業してるから天につばするような発言は控えるべきかも知れませんが。 で、結局、自分でなんでもやんないとならなくなるわけです。 高速道路の脇の砂利道をスーパーカブで飛ばしちゃころぶがごとき人生だなぁ。
ところで、2004.4.4にご参加のJakarandaさんはご両親の法事で一時帰国なさるとのことでした。ということはご両親はすでに他界なさっていらっしゃるということですからさびしいですね。 僕も父親を5年程前になくしました。 桜の花が満開の春らしく晴れてあたたかいすばらしい日にお医者さんからお父さんはもうだめですと告げられました。 父はそれから3ヶ月ほど自宅で暮らし、生きる希望を強くもちながら死にました。桜の木の根元には死体が埋まっているというような表現で桜の妖艶な美しさを歌った詩人がいましたが、僕にとっての桜の花は父の死をおもいださせる悲しい花になってしまいました。 でも父のことを思い出させてくれるのだからいい花なんだと思えるように早くなりたいな。 生前は苦労させられたことの思い出の方が多いのにいざいなくなってしまうと懐かしくてたまりません。 皆様のご両親はご健在でしょうか。 (布施院)

(-_-)/~~~ピシー!ピシー! 投稿者:さくらこ  投稿日: 2月 9日(月)12時41分16秒
あ゛あ゛〜〜〜さむかった〜〜 くたびれた〜〜 読んでただけなのに-----(-_-;)

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